なりたい!しりたい!海上自衛隊
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海上自衛隊の誕生

海上自衛隊は、防衛省の特別機関の一つです。日本では法律上、自衛隊は軍隊としての機能を発揮することはできませんが、他国から見た海上自衛隊は、海軍と同じものとして見られています。

日本の平和、独立を守り、国の安全を保つことを目的としていて、海上からの直接侵略、間接侵略に対し、日本を防衛することを主な任務にしていて、必要に応じて公共の秩序の維持にも当たります。そのトップは海上幕僚長になり、海上自衛隊はこの海上幕僚長と統合幕僚長、海上幕僚監部が監督をする部隊・機関になります。

帝國海軍

第二次世界大戦をポツダム宣言を受諾することにより終結させた日本は、大日本帝国海軍の解体がされることになりました。

海軍での復員は順次行われると共に、それまで海軍省だったものが第二復員省に変りました。同じく陸軍省から変った第一復員省と協力しあい、第二次世界大戦からの復員や、在外邦人の引き上げを行いました。こうしたことから、必要な海軍時代の艦船や職員をそのままにし、復員船、引き上げ船として、世界各地と日本の往復をした他、航路の障害物を取り除くための日本近海の掃海作業を行いました。

昭和23年5月1日、新たに海上保安庁保安局掃海科に第二復員局の掃海部隊が装備や人員をそのまま組み入れ、機雷の撤去作業を行いました。こうしたことが、日本海軍がこれまで培ってきた操船技術や労働力を変らず維持することができました。

海上自衛隊創設

朝鮮戦争が1950年に起きると、かつての海軍関係者は海軍再建するには好機だとして、GHQに海軍再開を打診します。選択肢として、海軍を復活させるか、あるいは海上保安庁を拡充するかの案が出されました。旧日本軍が再び機能することへの国際社会の不安と、すでに非武装論が浸透してしまっていた世論を考慮し、組織構想が練られることになりました。

提案として、昭和26年10月に、連合国最高司令官リッジウェイ大将から、フリゲート18隻と、大型陸上支援艇50隻の貸与の提案があり、日本政府はこの提案を受け入れることにしました。翌年、旧海軍の軍人と海上保安庁から人材を集め、内閣直属の委員会が置かれ、受け入れ体制を整えることになりました。

Y委員会

置かれた委員会は『Y委員会』と呼ばれました。これは、議長を交互に務めた柳沢米吉海上保安庁長官と、山本善雄元少将のイニシアルをとってつけられています。このY委員会の構成は、旧海軍の軍人が11人中8人という大勢を占めていて、海上保安庁からは軍人ではない長官と次官、海上保安庁のトップの警備救難監の3人のみでした。

新部隊の位置づけ

新しい部隊が誕生するに当たり、その位置づけをどうするかということで紛糾することになります。Y委員会での審議では、新しく発足する部隊を海上保安庁の下に置くことに異論はありませんでしたが、一般の海上保安庁の部隊と同じく、警備救難監の下に置くべきか、特別に海上保安庁長官直属の機関にするかで、もめにもめたのです。

海上保安庁側は、新部隊はあくまでも海上保安庁の警察力強化として、警備救難監の下に置くことを主張し、旧海軍側は、新部隊を将来海軍として独立させ、海軍の再建を目指していたために、将来の分離自立を目指し、長官直属になることを主張しました。協議の結果、旧海軍の主張が通り、長官直属の機関になることが決められました。新しい部隊の名前は『海上警備隊』とされました。

海上自衛隊の発足

昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効の日、海上警備隊が設置されます。同じ年、掃海部隊だった航路啓開隊と海上警護隊は、保安庁警備隊となって海上保安庁から分離され、昭和29年に防衛庁が発足されると同時に海上自衛隊が誕生します。

現在まで、海軍への昇格はしていませんが、諸外国からは日本海軍と呼称されることもあります。これは陸上自衛隊、航空自衛隊も同様で、日本陸軍、日本空軍と呼称される場合があります。

海上自衛隊を管轄する防衛庁は、2007年1月9日に防衛省に昇格しています。

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